帝国の解体とアジア・アフリカの動向 {政治学・ナショナリズム・歴史}

第一次世界大戦中に、社会主義革命が起こったことでロシア帝国が崩壊した。

また、ドイツ帝国・オーストリア帝国・オスマン帝国などが敗戦国となった。

そのため、パリ講和会議では民族自決の理念のもとに敗戦国における諸民族の独立が承認され、ナショナリズムを肯定することで帝国を解体させた。

しかし、戦勝国のイギリス・フランスもまた広大な植民地帝国であったため、アジア・アフリカでの民族自決は否定された。

第一次世界大戦中、アジア・アフリカでも総力戦体制のもと、多くの人的・物的資源が動員されていた。

こうしたことは、アジア・アフリカの民衆を徐々にナショナリズムに目覚めさせていくことになった。

その矢先にパリ講和会議で民族自決が否定されたことは、アジア・アフリカの深い失望を招くものであった。

このように植民地・半植民地とされた従属地域では、まずは民族の解放が最優先の課題とされたが、そうした中で世界社会主義革命をめざすソ連が、その戦略の一端としてアジア・アフリカの民族運動に理解を示す行動を取ったため、こうした地域ではナショナリズムと社会主義が結合する事態が生じた。
update:2010年03月06日